ヒメハゼの繁殖行動の探求記 ~サキンハゼの繁殖行動に関する研究論文の出版を受けて~

サキンハゼHazeus ammphilus Allen and Erdmann, 2021の繁殖行動について研究された論文が2026年1月9日付けで出版されていました.

Kawase and Tsuhako. 2026. Nesting and reproductive behavior of the Sand-dwelling
goby Hazeus ammophilus (Gobiidae) with radial ditches around its nest. Fishes 2026, 11(1), 45. 

doi.org

 

研費データベースに報告書が掲載されていたのを見て研究が進められていることを知り,ずっと追跡していた研究の成果が遂に出版されていました.フィールド調査と水槽実験を行い,サキンハゼHazeus ammphilus Allen and Erdmann, 2021の繁殖行動について丁寧に研究された論文です.

サキンハゼとは,長らくトンガリハゼ属の一種3として知られていた種で,2021年にユカタハゼ属の新種として記載されました.本種はアマミホシゾラフグのように巣の周囲に放射状の溝を掘るということで2018年に学会発表がなされ(川瀬・津波古,2018),以降は珍しい繁殖行動をとるハゼとして一部ダイバーの間で知られていたハゼでした.筆者も当時の魚類学会に参加しておりこの発表は傍聴していたのですが,当時は海水魚にそれほど興味がなく流し聞きしてしまっていて,ほとんど内容を覚えていませんでした.しかし,この翌年に”とある発見”をしたことで,この発表をちゃんと聞いておかなかったことを酷く後悔することとなりました.

 

時は2019年3月.当時,ヒメハゼ属魚類の多様性に心酔していた筆者は,ヒメハゼ属魚類全種コンプのため琉球列島のフィールドに頻繁に遠征していました.溢れんばかりにいるミナミヒメハゼFavonigobius reichei (Bleeker, 1854)の中から比較的数の少ないクロヒメハゼFavonigobius malanobranchus (Fowler, 1934)を交じり抜きして,その違いを眺めながら干潟を渡り歩いていました.この日は3月春の大潮,昼も夜もよく潮の引く一日でした.沖縄島有数のマングローブを誇る大浦湾の干潟に降り立つと,ズブズブの軟泥底で,おびただしい数のミナミヒメハゼの稚魚が逃げていくのが見えました.本流は胴長で立ち入るにはやや深かったので,流れ込みの澪筋を遡上していくと,少し水の淀んだところに出ました.干潟に生息するハゼの多くは干潮時も極端に浅いところを好むもので,この淀みには底生魚の魚影は薄く,期待薄に思いながらもこの澪筋を遡上していきました.すると,視界の隅に白く丸い物体が淀みの水底にあることに気付きました.河口の泥地で生き物を探したことがある方なら分かることかと思いますが,一面の泥色の中に白い人工物が突然現れると,つい視界に入ってしまうものでして,なんとなーく近付いて確認してみました.白い物体の正体は,釜の蓋と思われる陶器の破片でした.これが浅く泥に埋まっており,上の取っ手部分が泥から露出していました.そして,陶器を中心として放射状の溝が広がっていました(画像1).

(画像1:2019年3月23日,沖縄島)(百瀬,2020: fig. 1)

いきなり泥地に現れたこの円形模様,当初は完全に人がいたずらで作ったものだと思いました.しかし,陶器の下には一部泥と底面との間に狭い隙間があり,そこからハゼが顔を出していることに気付きました.汽水域において,このような基質の下に穴を掘るハゼといえばまず真っ先に名前が挙がるのが,クロコハゼDrombus sp.でしょう.キララハゼ属の多くも巣穴を持ちますが,キララハゼ属の場合,基質の下を掘り下げるというよりは共生するテッポウエビが掘った深い巣穴を持つというだけで,おそらく基質の有無は関係ないと思われます.したがって,この陶器の下から顔を出しているハゼは,おおよそクロコハゼか,遮蔽物の陰を好むその他のハゼであろうと想像しました.そんなことを考える頃には,どうせヒメハゼではないのだからと既に興味は失せていたのですが,とはいえ奇妙な模様が周囲に掘られた立体物でもあるので,一応確認はしておこうと,顔を出しているハゼの顔を見てみました(画像2).

(画像2)(百瀬,2020: fig. 4)

顔を出していたのはミナミヒメハゼの顔をしたハゼでした.この時,あまりの衝撃に立ち尽くしたことをよく覚えています.自分の知っているヒメハゼという魚は,立体物の下に隠れることなどせずにただひたすら干潟を泳ぎ回って逃げる魚であって,こんな構造物の下に律儀に収まっているようなハゼではないと思っていたからです.もしかすると,ミナミヒメハゼのような顔をした未知の魚なのではないか,そんなことまでも脳裏をよぎりました.数十秒の間,干潟で立ち尽くしてしまいましたが,とにかくこのハゼが本当にヒメハゼでいいのか確認をしようと思い,刺激して逃げてしまわないようにゆっくり陶器をひっくり返し,全貌を観察しました.結果,確かにこの陶器の下にいたのはミナミヒメハゼでした.ヒメハゼが基質の下に潜りこんでいるのを見るのは初めてのことで,新知見に胸が躍りました.その一方で,では周囲に溝の掘られたこの陶器は本当にミナミヒメハゼが所有しているものなのか?という疑問は残りました.なにせ,これまでに見たことも聞いたこともない話なのですから,一時的な偶然が重なってこの状況が生まれただけだということも十分に考えられます.例えば,今こうしてミナミヒメハゼが収まっている隙間はクロコハゼが作ったもので,たまたまこのタイミングでミナミヒメハゼが入り込んだのではないか?とか,アマミホシゾラフグに準ずるような溝を作る生物がいて,たまたまこ澪筋に入り込み溝を掘るだけ掘って去っていったのではないか?など,色々な可能性が考えられました.そこで,一旦陶器を溝の中心に戻し,翌日もう一度見に来ることにしました.日付を跨いでもなお陶器の下にミナミヒメハゼがいたのなら,さすがにこのミナミヒメハゼがこの巣の主で良いだろうと考えたからです.翌日も同じ夜の干潮で確認に行きました.陶器のあった淀みは昨日よりも濁りがあり透明度は悪かったものの,陶器の下から顔を覗かせる,昨日と同じ個体と思われるミナミヒメハゼが確認できました.基質の下にいたのは雄で,よく成熟した最大サイズの個体でした.巣の傍には雌もおり,雄1雌2のペアで採集できたので,やはり陶器を産卵床に使った繁殖行動なのだろうということが分かりました.また,陶器を中心として放射状に広がる溝は,まさしくその作成者が中心にいることを指しているかのようでした.アマミホシゾラフグやトンガリハゼ属の一種が巣の周囲にミステリーサークル様の溝を掘ることは知識として知ってはいましたので,同じ砂地の魚類としてミナミヒメハゼが溝を作ったとしても不思議はないと思いました.しかしながら,このサークル模様がミナミヒメハゼの巣において恒常的にみられるものなのかどうかは,やはり疑問が残りました.そこで,OISTのM氏に写真を送って意見を伺うことにしました.M氏とは前年の2018年度魚類学会で初めてお会いし,翌年2月の1泊2日のゴリ研(ゴリ研究会)にてお酒の席でヒメハゼやシラヌイハゼの色々を教えてもらうなどした,いわば砂色ハゼの師匠でした.M氏からはその日のうちに返信がありましたが,M氏もミナミヒメハゼの卵塊を見たことは何度かあったものの,溝が掘られた巣を見たことはないとのことで驚かれていました.M氏はこの発見をハゼ研究者の知り合いにも伝えてくれたりと大変興味を持ってくださったのですが,あのM氏ですら見たことのない繁殖行動ともなれば,やはりミナミヒメハゼが種として行う行動ではなかったのかもしれないと当時の筆者は考えていました.

 

さらに時は流れ,2019年9月.この日,筆者は人生初めての西表島に来ていました.この時は単に色々なハゼを見たいという目的でしたが,広大なマングローブ林の数々,雨が降るとカニとカエルが歩いている道路,路側帯の側溝に落ちたままの軽自動車などといった自然度の高さ(?)にいちいち驚愕しながら,干潟各所を回りました(画像3).

(画像3)

西表島の汽水域は非常に自然度が高く,特別保護地区を避けていても大規模なマングローブを堪能することができます.4泊5日の日程でしたが,最終的に8河川を回り,砂地・泥地のハゼをひたすら探し回りました.記憶では,ヒメハゼ属は6種,シラヌイハゼ属は1種を採集したと思います.本来はこれらのグループは種数的にもっといるようなのですが,当時はまだあまりこだわった採集スタイルでもなく,緩く広く採集していたので種数はそれほど見れていませんでした.話は戻りますが,結論から述べるとこの西表島遠征でも筆者はミステリーサークルを発見しました.日程も終盤に差し掛かった夜の干潮にて,筆者は広い干潟のある河口を遡上しつつハゼの観察を続けていました.この河川は河口が両面護岸されて幅が狭い代わりに河川内汽水域の面積が広く,護岸された傍を除けば,水深は流心でも50cmに満たない程度のごく浅い河川でした.そのため,河口から本流を遡上しつつハゼを探していきました.すると,本流のほぼ流心にリップルマーク(波状模様)に紛れて分かりにくくなっているものの,周囲と溝の方向が異なることで一際目立つ,あの放射状模様があることに気が付きました(動画1).

(動画1)youtu.be

3月に沖縄島で発見して以来,2度目の発見です.水流の向きは画面右から左に流れていますが,それと異なる方向にも抉れていることから,何かしらの生き物が作り出したものであることは明らかでした.汽水域の浅瀬であり,直径もあの時のものとほぼ同じです.これは早くもミナミヒメハゼの巣を再発見することができたのではないかと思い,喜びましたが,残念なことにこの溝構造からは宿主は確認できず,周囲にそれらしい魚影も見当たりませんでした.沖縄島の時にあった陶器のような基質もこの溝の中心には埋まっていませんでした.結局,上げ潮のタイミングで見つけたということもあり,あまり周辺の捜索に時間をかけることもできず最後までその正体は分かりませんでした.西表島で見つけたこの溝構造はまさしくミステリーなまま幕引きとなりました.

 

年の2020年3月,この頃,筆者の発見に興味を持ってくれていた鹿児島大のK氏から,ミナミヒメハゼの繁殖行動を論文にしてみたらどうかという提案をいただきました.今までにアカデミックな世界に手を出した経験などなかったので,現役の研究者でもあるK氏からごくごくフランクにそんな提案を受け,衝撃を受けたことを覚えています.それまで筆者の中で論文とは,研究者が書く崇高な科学情報の媒体であるという認識でしたので,研究者でもない自分が書いても良いものだったのかと拍子抜けしていました.ただそんなK氏の働きかけもあって,こんな発見があったという事実を記録するだけでもやってみようと,論文化に取り掛かることにしました.今思えば,筆者のマインドはこの頃から変わっていません.論文といっても単に事実を事実として書いておくだけでも十分に意味はあるはずで,あまり難しく考えないで執筆することを心がけています.とにもかくにも,K氏のこの提案を受けてミステリーサークルの研究は本格的にスタートしました.まず,あのサークル模様がミナミヒメハゼの繁殖行動であるのかどうか判断できていなかったので,沖縄島へ追加の調査に行くことにしました.調査地は言わずもがな,最初にミステリーサークルを発見したあの干潟です.ちょうど1年ぶりに降り立ったフィールドは,少し蒸し暑く感じる程度であの時とほとんど変わりのない様相でした.そして,あの時と同じ澪筋に向かいました.この澪筋が流れ込む本流との合流部は一段と泥深くなっているため,膝を着きながら前進します.ふと足元を見ると,ミナミヒメハゼ,セイタカスジハゼAcentrogobius multifasciatus (Herre, 1927),ハゼ科の一種10などの泥地を好むハゼの仲間が視界に入ります.このうち,セイタカスジハゼはテッポウエビ類と共生するハゼであるため巣穴を持っています.オサガニの仲間,ゴカイやユムシといった無脊椎動物も泥地に独自に穴を持つため,いたるところに小さな穴が空いています.そんな中に,山のように盛り上がった一つの穴がありました.穴周囲の斜面には,外側に向かって抉られたいくつもの溝が放射状に伸びています.溝を含めた範囲も直径で15cmほどと小さい.ゴカイの仲間は,穴から半身を乗り出して周囲の餌を探す習性があるため,巣の周囲に放射状の模様を描くことがあります.しかし,ゴカイの摂餌用の穴はたいてい平坦なところにあり,底質が抉れるほどの溝も形成されません.何とも言えぬ不自然さを感じたため,穴を覗いてみると,そこにはヒメハゼの顔をしたハゼがいました(画像4).

(画像4)(百瀬,2020: fig. 1)

これはまさしく探していた目的のものだろうと直感し,写真を撮影して穴の中を確認しました.穴の天井にはやはり基盤となるヒルギの葉が埋まっており,宿主のハゼがその隙間から出てきました.万が一にもロストすることがないように,舞い上がった泥が落ち着くのを待ってから採集します.そして網に入った姿を見て驚きました.当初ミナミヒメハゼだと思ったこのハゼには,尾鰭の上葉に黒色点がありました.尾鰭に黒色点をもつヒメハゼは2種存在しますが,ミナミヒメハゼにはこの黒色点はなく,この小ささで尾鰭に黒色点が表れるのはクロヒメハゼのみです.なんと,クロヒメハゼの巣の周りにも放射状の溝があったのでした.この発見を皮切りに,周囲に放射状の溝が掘られた巣が立て続けに見つかります.次に発見したのはまたしてもクロヒメハゼの巣で,前の2つとは異なり純粋な砂地で見つかりました.また,この巣は楕円形で,中心に埋まっていた縦長の広葉樹の葉の形に沿うように溝が掘られていました.これまでに発見したサークルは明確な円形でしたが,どうやら基質の形に合わせて溝を掘ることもあるようだということが分かりました.次に見つけた巣は,この河口へ降りるエントリー口の傍にあり,本流のやや深いところにありました.水面上から水底にある落ち葉が見え,その周囲には放射状に広がる数本の溝がありました.葉の下にはハゼはおらず,代わりに溝の上に成魚のミナミヒメハゼが佇んでいました.おそらくは溝を形成している途中だったのでしょう,採集しようと網を入れたところ爆速で逃げてしまいました.この川では最後に,卵保護中のミナミヒメハゼとも出会いました(画像5).

(画像5)

この巣の産卵基質は直径20cm強のドーム状のプラスチックで,元の形状が何であったのかはよく分かりませんでした.卵を確認するため筆者が基質を水面まで持ち上げると,親魚は突如消えた卵と基質を探して周辺をウロウロとしだし,筆者が手を近付けても逃げる余裕もないほどに取り乱しました(気の毒に感じるくらい).卵の付着した基質を元の向きのまま戻してやると,直ぐにその下に潜り込んで保護を始めており,卵と基質に対する強い執着を感じました.この程度の小型魚であれば巨大な人の手が近付いてくれば一目散に逃げ去ると思いますが,振り返ると,この直前に見つけた巣のクロヒメハゼも1年前に見つけたミナミヒメハゼも,基質を取り上げた時に宿主の個体が逃げる様子はみられませんでした.この2例とも卵は確認されませんでしたが,基質をどかしても魚が巣から離れなかったことを思うと,卵の有無に関係なく,基質を産卵床と認めた時点から雄は基質に対して執着を持ち始めるのだろうと考えられます.溝が数本しかなかった巣の個体は直ぐに逃げてしまったことからも,巣が完成後しばらく時間が経過する必要もあるのでしょう.この日は,日中も同じく大浦湾の干潟を歩きました.夜に訪れた川とは別の川です.河口から遡り砂地を抜けると淀んだ泥地が広がります.そこでは岸の傍の淀みに大きなサークルを見つけました.この巣は,1年前に見つけたミナミヒメハゼのサークルと同じくらい大きく,さらに中心の盛り上がり方が尋常ではなく小さな山のようになっていました.場所的に濁りが強く,透明度は悪いというのに水面上から見てもかなりの存在感がありました.これほど明らかな巣には案の定,筆者が近付いても逃げない親魚がいました.ミナミヒメハゼでした(画像6).

(画像6)(百瀬,2020: fig. 3)

この巣は,基質にプラスチック製のカップを使用しており,横倒しの状態で2/3が泥に埋められていました.プラカップの内部側面(横倒しの状態では天井面)には3箇所に分けて産卵されており,それぞれ発生段階が異なったことから複数回あるいは複数匹の雌を呼び込んで産卵しているものと思われました.このプラカップの内部を確認する前に,巣の横にGoproを設置して1時間程度撮影してもみたのですが,濁りが強くほとんど撮影できていませんでした.一応,親魚が定期的に巣穴から出入りしている様子までは確認できたのですが,これも画角の問題でハゼが画面外に出ていってしまっていたため,何をしていたのかは定かではありません.濁りが強くカメラを近付けないと撮影できなかったことが画角が狭くなってしまった原因なので,いずれは透明度の高い場所でワイドでリベンジを試みたいと思っています.ちなみに,このプラカップファミリーマート製のアイスココアのカップで(リンク1),今現在ハゼが巣に利用したことが確認されている唯一のファミマ商品だと思われます(だから何).

(リンク1)www.family.co.jp

回の発見では,卵保護をしている個体の巣にも溝があったことで,この溝が繁殖行動に伴うものであることがほぼ確定しました.あとは,溝を作ることに何の意味合いがあるのかという問題ですが,これの追及は一旦保留としました.おそらく,さらに多くの巣を見つけて観察する必要があること,巣の傍で観察を続けるためのまとまった時間が必要であること,最悪,溝自体にはなんの意味もないことなどの理由から,内陸県住みの筆者としてはそこまでする時間も余裕もないとその時点では判断しました.かくして,ここまでの結果を元に論文にするための作業をスタートしました.まずは文献収集です.ヒメハゼの繁殖行動に関する文献はあまりにも乏しく,それぞれの文献の要所要所で言及されているヒメハゼに関する文章を引っ張ってくるという,地味な作業を繰り返しました.初めは付け焼き刃の詰め合わせのような原稿に仕上がったことを苦い記憶として覚えています.そんな中で唯一,中村(1944a, b)はヒメハゼの繁殖行動について詳しく記述していました.この文献はヒメハゼで調べていてもなかなかヒットしなかったのですが,同じ砂地のハゼであるシラヌイハゼの生態を調べたら何か分かるのではないかと思い,道津(1958)のシラヌイハゼの生態に関する文献を読んでいたところ,出典リストにありました.古い文献だったためK氏に協力してもらって文献を確認しました.すると,なんと産卵行動の過程においてヒメハゼが放射状の溝を掘ることが既に記述されていました.しかも図付き.つまり,筆者が沖縄島で発見したミナミヒメハゼとクロヒメハゼの巣の溝は,このグループにおいては特段新知見でもないということが分かりました.1年前から長いこと新知見だと盛り上がっていたこともあり,この時は正直ショックでした.とはいえ,ヒメハゼ属の中ではヒメハゼ1種しか知られていなかった産卵習性であることは確かであり,ミナミヒメハゼとクロヒメハゼも同じ行動をとることが知られれば,これがこのグループにおける一般的な繫殖行動であると言うこともできます.つまり,この2種の繁殖行動の記録が重要なものであることに間違いはないため,タイトルに少しだけ修正を加えて執筆を続けました.執筆は3月に沖縄から帰ってきてから始めましたが,慣れない作業のため手探りで進めていると,結局投稿は6月になってしまっていました.元々大掛かりな研究というよりは短報として出すつもりのものだったので,投稿雑誌は査読のないNature of Kagoshimaを選びました.NKの出版までの早さは有名で,筆者の原稿も6月20日投稿の6月22日オンライン公開という迅速さで公開されました(リンク2).

(リンク2)journal.kagoshima-nature.org

沖縄島では,放射状の溝のある巣だけでなく,基質の下を掘り下げている最中のミナミヒメハゼや,溝もなく卵もないのに巣の傍から離れないクロヒメハゼ,基質は埋まっていないもののこれから巣作りを始めそうな雰囲気のヒメハゼなど,いくつかの例外も確認しました.これ以降もヒメハゼのサークルは各地で発見されており(赤池,2020;百瀬,2024),筆者自身も南日本各地で確認しています.ただ,これらを踏まえても,野外で単発の発見を繰り返すだけではこの溝がもつ意味を追求するのは難しいでしょう.おそらく,ある程度まとまった期間に集中的な調査を行う必要があります.筆者の希望としてはいつか海岸沿いに移住し,毎日家のすぐ傍の汽水域で巣を観察する生活をしたいと思っていますが,これは老後の楽しみになりそうです.

 

て,冒頭に述べたKawase and Tsuhako (2026)のサキンハゼの繁殖行動に関する論文ですが,それによると,ヒメハゼのサークルとは決定的に異なるところがあります.それは産卵床の裏表が逆であることです.Kawase and Tsuhako (2026)によると,サキンハゼは産卵基質の貝殻をわざわざひっくり返し,窪んでいる方を上向きにしてそこに産卵するようです(必ずというわけではない).他に,大西洋に生息するPomatoschistus minutus (Pallas, 1770)やサンカクハゼFusigobius neophytus (Günther, 1877)も開けた砂地で貝殻に産卵するようですが,やはりヒメハゼ属と同様,裏面(下面)を利用するようです.シラヌイハゼ属のシラヌイハゼSilhouettea dotui (Takagi, 1957)や,Silhouettea evanida Larson and Miller, 1986も,巣の周囲に放射状の溝を掘ることが報告されていますが(Koreeda et al., 2024;是枝・本村,2025),これも基質を砂で埋めて裏面(下面)に産卵しています.つまり,基質の表面(上面)を産卵に利用するサキンハゼは,近い繁殖行動をとるハゼの中でも特異的な存在であるということです.Kawase and Tsuhako (2026)はこれについて,表面(上面)で産卵した際,貝殻内へ砂を出し入れする行動が他生物からの捕食リスクを下げていると述べています.多くのハゼが卵の状態を新鮮に保つために鰭で水流を送るなどして世話をするのに対して,なんとサキンハゼは巣の外から砂を運んできて,卵を砂で覆うのだそうです.そうすることで卵が砂で隠れ,捕食リスクが下がるというわけです.動画撮影による観察では,イイジマウミヘビEmydocephalus ijimae Stejneger, 1898に巣を襲撃されたサキンハゼが,卵に砂をかけて隠蔽する行動も観察されています(Kawase and Tsuhako, 2026: fig. 3).そして,サキンハゼにおいてはこの砂かけ行動こそが巣周囲の放射状の溝の形成に繋がっているということのようです.

(画像7)

筆者も,奄美大島でサキンハゼのサークルを発見したことがあります(画像7).この時は表面に産卵された巣×2,下面を掘り下げた巣×1で,後者に卵はありませんでしたが,学会発表で聞いていたあの巣を直接見ることができ,感動した記憶があります.なお,前述のサキンハゼ特有の砂かけ行動については,あまり意識して見れていなかったため分かりませんでした.ただ,画像フォルダを見返していると,基質の表面が綺麗な状態のものと,くすんでいるものがありました.後者の写真についてじっくり見てみると,なんと,基質上に砂が溜まっていました(画像8).

(画像8)

当時は,産卵床が汚れているのに掃除をしないなんてズボラな個体だなぁと思っていたのですが,今にして思うと,これは頭上を泳いでいる筆者に反応して砂で卵を隠していたのかもしれません.実際,筆者は写真で見返すまで卵の存在に気付いていませんでした.素晴らしい繁殖戦略だと思います.

なお,Kawase and Tsuhako (2026)はサキンハゼの巣周囲の溝構造について,巣の形状が雌の配偶者選択に関わっている可能性を示唆しています.Pomatoschistus minutusでは,巣に積まれた砂の量が多いほど雌に好まれるといった傾向もあるそうです(Lehtonen and Wong, 2009).思い返すと,沖縄島で見つけたミナミヒメハゼの巣の中でも最後に見つけた巣は(画像6),中心が特に山のように盛り上がっていて産卵も3回に分けて行われていたことから,人気のある雄だったのかもしれません.さながら新宿のタワマンに住む強者男性とでもいったところでしょうか.より目立ち,雌にアピールできる巣を作った雄が子孫を残す.ハゼの世界も厳しい競争社会であることに間違いはないのでしょう.

 

引用文献

赤池貴大.2020.ヒメハゼ属の一種,p. 98.本村浩之・山本智子・田金秀一郎(編)鹿児島県北西部 不知火海にそそぐ 高尾野川河口周辺の生きものたち.鹿児島大学総合研究博物館,鹿児島.

■道津喜衛.1958.シラヌヒハゼの生態・生活史.九州大學農學部學藝雜誌16: 427-432. 

■川瀬裕司・津波古健.2018.産卵床の周りに放射状の溝を掘るトンガリハゼ属の1種-3の繁殖行動.日本魚類学会年会講演要旨,51: 49.

■Kawase and Tsuhako. 2026. Nesting and reproductive behavior of the Sand-dwelling
goby Hazeus ammophilus (Gobiidae) with radial ditches around its nest. Fishes 2026, 11(1), 45. 

■是枝伶旺・本村浩之.2025.鹿児島県南さつま市浦川河口におけるシラヌイハゼの出現状況と本種の産卵巣周辺に確認された溝構造.水生生物,2025: AA2025-44.

■Koreeda, R., Seah, Y.G., Motomura, H. (2024). First records of the Vanishing Silhouette Goby Silhouettea evanida (Pisces: Actinopterygii: Gobiidae) from the South China Sea, with notes on reproductive behavior of the species. Thalassas, 41: 8.

■Lehtonen, T. K. and B. B. M. Wong. 2009. Should females prefer males with elaborate nests? Behavioral Ecology, 20: 1015-1019.

■百瀬 樹.2020.沖縄島の汽水域から発見されたヒメハゼ属魚類2 種によるミステリーサークル.Nature of Kagoshima, 47: 59-66. 

■百瀬 樹.2024.本州から得られたヒメハゼ属魚類4種の記録とその識別形質についての検討.Ichthy, Natural History of Fishes of Japan, 45: 19-45.

中村中六.1944a.スヂハゼおよびヒメハゼの生活史.水産学会報,9: 103-108.

中村中六.1944b.ヒメハゼの産卵習性.水産学会報,9: 99-102.